東京高等裁判所 平成元年(ネ)2202号・平元年(ネ)1009号・平元年(ネ)2461号 判決
一 本件は、被控訴人らの包括宗教法人である日蓮正宗が控訴人らを僧籍剥奪処分たる擯斥処分(以下「本件擯斥処分」という。)に付したことに伴い、被控訴人らにおいては、控訴人らが、宗教法人である被控訴人らの代表役員及び責任役員たる地位を失って被控訴人ら各所有の寺院建物の占有権限を喪失したとして、各原判決掲記の各建物の所有権に基づき右各建物の明渡しを求めるのに対し、控訴人らにおいては、右処分は、日蓮正宗の管長たる地位を有しない者によってなされ、かつ、宗規所定の懲戒事由に該当しない無効な処分であるとして、被控訴人らの各請求を争うとともに、宗教法人である被控訴人らの代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求めるものである。
二 ところで、裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、法令の適用によって終局的に解決することができるものに限られ、したがって、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であっても、法令の適用によって解決するに適さないものは、裁判所の審判の対象となり得ない(最高裁昭和五六年四月七日第三小法廷判決・民集三五巻三号四四三頁参照)。そして、宗教団体における宗教上の教義、信仰に関する事項については、裁判所は中立を保ち、一切の審判をなしえないと解すべきであるから、特定人についての宗教法人の代表役員等の地位の存否を審理判断する前提として、その者の宗教団体上の地位の存否を審理判断しなければならない場合において、宗教上の教義、信仰に関する事項を判断しなければならないときは、裁判所は、かかる事項について一切の審判権を有しない以上、右の地位の存否の審理判断をすることができない。したがって、また、具体的な権利義務ないし法律関係に関するものであっても、宗教団体内部においてなされた懲戒処分の効力が請求の当否を決する前提問題となっており、その効力の有無が当事者の紛争の本質的争点をなすとともに、それが宗教上の教義、信仰の内容に深くかかわっているため、右教義、信仰の内容に立ち入ることなくしてその効力の有無を判断することができず、しかも、その判断が訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものである場合には、右訴訟は、裁判所法三条にいう「法律上の紛争」に当たらないというべきである(最高裁平成元年九月八日第二小法廷判決・民集四三巻八号八八九頁)。
三 これを本件についてみるに、被控訴人らの請求は所有権に基づく建物の明渡請求であり、控訴人らの請求は被控訴人らの代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求めるものであり、いずれも具体的な権利義務ないし法律関係の紛争の解決を求めるものである。しかし、本件擯斥処分の効力の有無が、控訴人ら及び被控訴人らの各請求の前提をなし、その効力の有無がその紛争の本質的争点をなすとともに、その効力についての判断が本件訴訟の帰すうを左右するものであり、右判断をするためには、本件擯斥処分における処分権者及び懲戒事由についての判断が必要不可欠であることは、前示一により明らかである。≪中略≫
四 ところで、本件擯斥処分の懲戒事由は、控訴人らが、通告文において、日顕に対し、「貴殿には全く相承が無かったにもかかわらず、あったかの如く詐称して法主並びに管長に就任されたものであり、正当な法主並びに管長と認められない。」旨を通告し、管長事件において、「前法主細井日達上人の生前において相承がされた事実は存しない。」、「阿部日顕の「法主」の地位は、宗制宗規に基づかないいわば僭称に過ぎず、正当な根拠がなく「就任」したものであり、阿部日顕「法主」は本来存在しない。」旨主張したことが、日蓮正宗における法主の地位の承継についての異説であり、管長に対する誹毀・讒謗に当たるとするものであることは、各当事者双方の主張及び弁論の全趣旨により明らかである。そして、法主の選任については、日蓮正宗の宗規によれば、「法主は、必要と認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。」(宗規一四条二項)、「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」(同条三項)と規定されていることは各当事者間に争いがない。しかし、日蓮正宗及び被控訴人らの見解によれば、日蓮正宗においては、法主の選任に関する不文の準則が存在しており、法主の就任には、法主(当代の法主。当代の法主がいない場合には、先代の法主。以下も同じ。)から次期法主たるべき者に対する「血脈相承」なる行為を要し、ここにいう「血脈相承」とは、宗祖から歴代の法主を通じて承継されてきた宗祖の血脈をただ一人体得している法主がこれを次期法主たるべき者に承継させる宗教行為であり、法主が次期法主たるべき者ただ一人に行うこととされ(唯授一人)、右の行為は、血脈相承を授ける者が、これを受ける者に相対し、一対一で口頭で伝えることとされ(面授口決)、血脈相承の内容及び方法は秘密とされ(秘伝)、血脈相承のない法主の就任はあり得ず、この血脈相承の不断が教義、信仰の絶対的なものとされるところ、控訴人らの前示言動は、右の教義、信仰に反し、かつ管長に対する誹毀・讒謗に当たるというのであり、これに対し、控訴人らが、右日蓮正宗及び被控訴人らの見解とは異なる見解に立ち、しかも日顕の血脈相承の存否を争っていることは、第一〇〇九号事件における成立に争いがない甲イ第三、第四号証、甲第六四号証、早瀬証言によって真正に成立したものと認められる甲第五九号証、第六六号証及び早瀬証言、秋山証言並びに弁論の全趣旨により認めることができる。
控訴人らは、日蓮正宗における法主選任準則は、法規範的選任準則であって、控訴人らは、それに該当する要件事実たる選定の意思表示の立証を日顕に求め、右「選定」の意思表示の重要な間接事実であるはずの客観的具体的事実たる「血脈相承の儀式」が挙行された形跡すらないことを指摘したに過ぎない旨の主張をし、秋山証言にはこれに沿う部分があるが、本件懲戒事由とされた控訴人らの言動は、前示のとおりであり、前掲各証拠によれば、右言動は、単に宗規の規定の適用の問題ではなく、血脈相承の意義、日顕についての血脈相承の存否という日蓮正宗における教義、信仰の内容に深くかかわるものであることが認められるのであり、控訴人らの右主張は、採用できない。他に、前示認定を左右するに足りる証拠はない。
そして、前示三の各認定事実によると、本件擯斥処分が日蓮正宗の所定の懲戒手続を経て行われたことは明らかであり、本件の本質的争点は、日顕の日蓮正宗における法主及び管長の地位に関する控訴人らの言動の正否にかかるところ、それは、当該宗教法人における非宗教的な内部規定の履行の有無の問題ではなく、血脈相承についての控訴人らの言動が日蓮正宗における教義、信仰を否定する異説であるか否か、又は血脈相承の意義及び血脈相承の存否にかかっているということができる(血脈相承についての右の問題に立ち入らないで、本件擯斥処分が信義則違反ないし権利濫用であると認めるに足りる証拠はなく、また、管長事件における訴訟上の主張は特段の事情のない限り当事者本人の意思によるものと推定すべきところ、早瀬証言、秋山証言及び弁論の全趣旨によって認められる管長事件に至る経緯に照らせば、管長事件における前示主張が、控訴人らの意思によらない特段の事情があるとは認め難い。)。そして、このようなことは、単なる経済的又は市民的社会事象とは全く異質のものであり、日蓮正宗の教義、信仰の内容に深くかかわっているため、右の教義、信仰の内容に立ち入ることなくしては判断することができない性質のものであるから、本件擯斥処分の効力の有無については裁判所の審理判断が許されないものというべきであり、この判断を前提とする控訴人ら及び被控訴人らの本件各訴えは、その実質において、法令の適用により終局的に解決することができないものというべく、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」に該当しないというべきである。
(藤井 伊東 筧)